OAG – Deutsche Gesellschaft für Natur- und Völkerkunde Ostasiens (Tokyo)

Montag, 10. November 2014, 18:30-20:00 UhrSatoko Katada: „Alexander von Sieboldund die Diskussion um ‚die Gelbe Gefahr‘“

Alexander von Siebold (1846-1911) war der Sohn von Philipp Franz von Siebold und ein japanischer Diplomat in der Meiji-Zeit. Er veröffentlichte einige wissenschaftliche Arbeiten über die sog. „Gelbe Gefahr in Deutschland“.
Das Schlagwort, „die Gelbe Gefahr“ war eine negative Bezeichnung für asiatische Völker, besonders Chinesen und Japaner, im Zeitalter der Imperialismus.

Wie dachte von Siebold über das Phänomen „Gelbe Gefahr“? In diesem Vortrag werden seine deutschen Arbeiten benutzt, analysiert und verglichen mit Mori Ogais Arbeiten über die „Gelbe Gefahr“.
Mori war ein Zeitgenosse von Siebolds und lebte von 1884 bis 1888 in Leipzig, Dresden, München und Berlin.

Frau Satoko Katada ist Historikerin und Doktorandin der Sophia-Universität.


OAGドイツ東洋文化研究協会は、明治6年、在日ドイツ人外交官、学者、貿易商により設立されて以来、伝統の研究会を開催しています。

シーボルト・ゼミナール(日本語使用)は、毎月1回(原則第2月曜日)開催されます。今年で10年を迎える講座に成長し、OAGの主要な行事の一つとなりました。
世界で唯一のシーボルトのゼミナールと云われ、その存在はドイツでも知られています。

今回は、当ゼミナールで『独逸学協会学校』について講演願った堅田智子さんに再登場して頂きます。演題の論文で石橋湛山記念財団から表彰されています。その解説によれば:

1859年ドイツ人アレキサンダー・フォン・シーボルト(Alexander von Siebold,1846-1911)は、医師であり、植物学者、日本学者であった父フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトの二度目の日本滞在に同行し、初めて日本の地を踏んだ。A.シーボルトは、父の研究を手伝うかたわら、彼の門弟より日本語を学び、1862年英国公使館通訳官に就任、70年には明治政府外交官に転身し、以後、40年にわたり奉職した。しかしながら、A.シーボルトの功績については、日独いずれにおいても、十分に検討されることはなかった。・・・活動の中で注目すべきは、欧米諸国にならい、広報外交のはしりとして実施した義和団事変、日露戦争中の「外国新聞操縦」、いわゆる対外宣伝活動である。・・・本報告では、この「外国新聞操縦」において、とりわけA.シーボルトが対峙せねばならなかった「黄禍論」がいかなるものであったのか、彼がどのように黄禍論へと戦いを挑んだのか、明らかにすることを目的とする。また、ここから垣間見えるA.シーボルトの日本に対する意識もあわせて検討する。

講師: 堅 田 智 子 様 上智大学大学院文学研究科史学専攻博士後期過程